命が脅かされるような強い精神的衝撃を受けた後、それが著しい苦痛などをもたらし生活に支障を来すストレス障害のことを心的外傷後ストレス障害 (PTSD)という。そんなPTSD患者の脳内をCTスキャンすることにより、「PTSD患者が自殺を考えているかどうか」を判断できるバイオマーカーがPNAS誌に報告された。原題は「In vivo evidence for dysregulation of mGluR5 as a biomarker of suicidal ideation」だ。
PTSD患者は一般的に自殺念慮を持ったり、最悪の場合自殺によって死亡したりする可能性が高くなることが知られている。自殺リスクを増加させる生物学的メカニズムは明らかになっていなかった。今回、研究チームは、一般の人々よりもPTSD患者の脳内で増加している脳受容体である、代謝型グルタミン酸受容体(mGluR5)に着目した。
mGluR5はグルタミン酸や神経伝達物質などに反応する受容体で、学習や記憶、睡眠、認知機能などのさまざまな脳内現象に関与する。PTSDを患っている29人と、うつ病を患っているがPTSDではない29人、精神障害を患っていない29人のボランティアを集め、自殺念慮を持っているかどうかを尋ねる質問と、脳スキャンでmGluR5の発現レベルを測定する実験を行った。
その結果、PTSD患者は健康な人々やうつ病の患者と比べ、脳細胞の表面にmGluR5が高レベルで発現していることがわかった。さらにPTSD患者のうちでも、自殺念慮がある人の方がない人に比べmGluR5レベルが増加していることが判明した。この結果は脳内のmGluR5発現レベルが、PTSD患者における自殺念慮の有無を示すバイオマーカーとなることを示唆するものである。
すでにmGluR5を標的とする薬は開発されている(MPEP, SIB-1893など)が、動物実験の結果から時には不安を増大させてしまう可能性があり、ただちにPTSD患者へ薬を使うのがいいのかについては未解明だ。直接mGluR5を標的にするのではなく、mGluR5に影響を与えるホルモンなどに働きかけ、間接的にmGluR5を標的にする方法を考えたいと論文の筆者らも述べている。
自殺は大きな社会問題の1つであり大きな損失でもあることから、そのような方々を未遂の時点で調べて専門家による適切な介入をしようという動きが広がっている。
脳の働きを視覚化することができるfMRIという技術とAIによる画像認識技術を組み合わせることで対象者の「自殺リスク」の特定に役立てようとする研究をもう1つ紹介する。
この研究はアメリカのグループが進めているもので、その途中結果はnature human behaviour誌に2017年に報告された。
人が自殺に関連することや感情的な概念を考えている時に生じる脳の活性化パターンの違いについて研究チームが着目し、自殺の傾向がある人とない人では、「death(死)」や「cruelty(残酷さ)」「trouble(問題)」「carefree(心配がない)」「good(良い)」「praise(称賛)」などの言葉を口にした時に頭の中が活性化する部位のパターンに違いがあり、その様子をfMRIで測定し、機械学習を使って自殺リスクを判定するという仕組みになっている。
右の正常の人に対し、自殺願望がある左の人では、白丸で囲った場所の色が大きく違うのが分かる。
この研究はまだ初期段階だが、Gaussian Naive Bayesという機械学習の方法を用いて自殺リスクのある人物を91%の精度で判定するに成功するなど、良好な結果が示されている。
この手法が確立されると、現在は自己申告に頼っている自殺リスクの判定を、より客観的に行うことができるようになる。また、自殺リスクのある人が「死」をどのように考えているのかを明らかにすることで、心理療法をより正確に導くために活用していくことが期待される。