死んだブタの脳を回復させる事にアメリカの研究チームが成功した。人間にも応用可能であり、脳死の定義を揺るがす研究だ。
脳はまだまだ未解明
動物は5億年におよぶ進化において、脳の中の新たな領域が出現や神経回路の効率化などにより様々な環境に柔軟に適応してきた。
しかし、その脳については分かっていないことが今だに多くある。代表例としては睡眠や夢、それに「意識」とは何かというような問いには、まだまだ十分に答えることができない。
我々人類の脳は高性能コンピューターのようなもので、最大限の力を発揮するには酸素を豊富に含む血流が絶え間なく供給されなければならない。
脳への血流が途絶えれば、ものの数秒で意識を失い、それから5分もしないうちに脳が蓄えていたエネルギー源であるブドウ糖やATPは尽きてしまう。
そのようにして脳が「死ぬ」と脳死になる。
脳は心臓や肺の活動制御を通じて生きていくために必要な働きを担っており、 事故や脳卒中などが原因で脳が機能しなくなると、回復する二度とないとされてきた。
1968年には米ハーバード大学の医師からなる委員会が、「脳死」の判断基準として、完全な無反応、自発呼吸の停止、反射運動の消失、脳の電気的活動の消失の4つを定めた。
現在では高度な専門性をもつ医師複数の立会いのもと、チェックリストに基づき判定される。
BrainExシステムで脳細胞機能を復活させる
アメリカのグループは、食肉用に解体されたブタの脳を分けてもらい、その脳細胞機能を回復させることに成功した。
これは脳疾患の治療に使える可能性もある。
Nature誌に発表された論文の原題は「Restoration of brain circulation and cellular functions hours post-mortem」だ。ブタの脳は「生き返った」わけではないことに注意が必要だ。
意識を生み出すほどの神経活動は見られなかったし、「生き返らせる」には倫理的な問題もある。
死んだ脳に血流と酸素の流れを復活させる、人工透析に似ている「BrainEx」という装置を筆者らは独自に開発したが、このBrainExが成功したのは、死んだ脳をそれなりに良い状態に保つことだ。
BrainExはコンピューターにより制御されたポンプとフィルターから構成されていて、体内での血液と同じように拍動する流れで、死んだ脳に栄養液を送り込む。
研究者らは、まず細かい血管まで漏らさずチェックし、BrainExが脳の血液循環を復活させることができることを確かめた。
次に、BrainExが脳組織の全体構造をどこまで保存できたかをチェックした。
BrainExで処置した脳は、生きている動物の脳や、死後1時間が経過した未処理の脳と全く遜色なく、死後10時間が経過した未処理の脳よりはるかに良好な状態で保つことができた。
下の写真は緑色が神経細胞だが、左側の死後10時間経過した脳ではほとんど神経が消失してしまっているのに対し、右側のBrainExで処理していた死後10時間経過した脳では神経細胞が保存されている。
将来展望と課題
研究者たちは、脳の障害や疾患を研究するのにこの技術が役立つと期待している。
この技術を使えば、心臓病などで脳への血流に問題が起きた患者をどのように治療すべきか、理解が進む可能性がある。脳の細胞を、複雑につながった状態のまま調べることができるからだ。
日本人の死因のトップはがんだが、2位と3位はそれぞれ心臓病と脳卒中なので、ヒトの脳を研究するための良いモデルを提供する今回の研究は重要で有望である。
一方で、いくつかの倫理的な課題も浮き彫りになった。
脳に酸素が行かなくなると、死が不可逆的に進行する…という脳死の仮定は正しいとは限らないことが分かったからだ。そうなると、倫理的・法律的に深刻な議論が必要になる。
死のプロセスの解明が進むにつれ、そうした知見も定義に組み込まれる必要がありそうだ。