従来の生命科学研究は、研究機関でないとできないものでした。
しかし、今はヒトゲノムが全てネットで公開されており、実験環境も市民に開かれつつあります。
今回はインスリンを作るというプロジェクトを題材として、自分でつくるDIYバイオの現状を紹介します。
この記事の内容
医薬品の開発期間・費用とジェネリック医薬品
医薬品開発は、複雑な知的財産と規制があるため長い開発時間と高いコストがかかります。1つの医薬品が厚生労働省に承認され使われるようになるまでには、平均的に10年の歳月と100億円がかかるとも言われています。
近年ではより高額な開発費がかかる医薬品も市場に出回っており、製薬会社は開発費を回収するために薬価 (薬の値段) を高く設定します。
薬の開発費を抑えるために、ある薬の特許が切れると同じ成分を同じ量含む薬を他の会社も作り始めます。
こうしたできた薬がジェネリック医薬品で、先発薬の「真似」をしているだけなので医学的には先発薬と同じでありながら開発費を安く抑えることができ、医療費も下げることができます。
バイオハッカーの台頭
最近では、製薬会社ではなく市民科学者の方々が薬剤開発に乗り出している事例があります。
例えば、Four Thieves Vinegar (英語) は、家庭にある材料を使用して、安価なエピネフリン自動注入器の作り方を発表しました。
エピネフリン (アドレナリン) は蜂に刺されたときなど重度のアレルギー症状 (アナフィラキシーショック) が出た時に緊急で自己注射することで命に関わる状態を回避できる薬です。
正式な研究機関の外で生物学やそれを応用した研究に従事している人々を、通称「バイオハッカー (biohacker)」 と呼びます。
バイオハッカーはとくにアメリカで増えていて、大きな成果をあげることも珍しくなくなってきました。
日曜大工など、専門家でない人が、何かを自分で作ったり修繕したりすることをDIY (Do it yourself, 自分でやるの意味) といいますが、その生物学バージョンであるDIYバイオ (DIYbio) の特に興味深い取り組みは、Open Insulin Projectと呼ばれるものです。
Insulin (インスリン) は血糖を下げるホルモンであり、糖尿病患者さんの中には毎日インスリンを注射している方もいます。
インスリンについて詳しく知りたい方は糖尿病の注射治療薬の基本【種類と副作用】をご覧ください。
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コンピューター科学や生物学に長けたこのプロジェクトの参加者たちの主目的は、特許が切れたインスリンを製造するためのよりよい方法を開発し、公開することによって、市場における競争を高めることで結果的にインスリンの薬価を下げることです。
Open Insulin Projectは、世界中のグループが参加する共同プロジェクトです。
もともとは2015年にカリフォルニア州オークランドのCounter Cultures Labsのグループによって開始されました。
インスリンの現状の問題点を次に見てみましょう。
インスリンの価格はまだまだ高い
1921年の発見以来、インスリンは糖尿病患者の生活の質に革命をもたらしましたが、長い歴史があるにもかかわらず、インスリンの値段は上昇し続けています。
例えば、2002年から2013年の間にアメリカではインスリンの値段が3倍になりました (参考文献:Expenditures and Prices of Antihyperglycemic Medications in the United States: 2002-2013. JAMA, 2016)。
致死的な状態である糖尿病性ケトアシドーシスの主な原因が、インスリン治療の中止であり、その主な理由としてコストが高いための自己中断が報告されています。
冒頭で紹介したジェネリック医薬品についても、多くの薬がより安価なジェネリック薬として利用できるようになった一方で、インスリンのジェネリックの価格は高いままです。
具体的には、ジェネリック薬は通常だと先発薬よりも80%程度も安くなりますが、ジェネリックのインスリンであるBasaglarは先発薬のランタス (Lantus) よりもわずか15%安いだけです。
つまり競合がほとんどないので、薬代が高く、特に貧しい方の重い負担となっているというわけです。
バイオハッカーたちが始めたOpen Insulin Projectは、インスリン製剤のよりよい作り方をオープンにし、この問題に取り組もうという動きです。
糖尿病の患者さんにとっては命そのものともいえるインスリンを簡単に作る方法を開発し、誰でも作れるようにするこのプロジェクトが成功すれば、途上国などで専門知識がある団体がインスリンを製造し安価に提供開始できるようになるかもしれません。
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研究機関でなくても研究できる時代
DIYバイオ研究をするにも、場所やトレーニングがないと難しいかもしれません。
しかし社会に開かれた研究室 (コミュニティバイオラボ) というものがあり、DIY生物学者に必要な科学機器やトレーニングの機会を提供しています。
コミュニティバイオラボは非営利組織であり、寄付や教育活動からの収入によって運営されています。
最初のコミュニティバイオラボであるGenSpaceは、2009年にアメリカニューヨーク州ブルックリンで設立され、現在では北米やヨーロッパの主要都市部のほとんどにそのようなコミュニティバイオラボが設置されるようになりました。
日本におけるDIYバイオ
日本ではアメリカに比べまだ遅れていますが、少しずつDIYバイオができる場所もできてきました。
東京・渋谷にあるBioClubでは、個人や団体に実験スペースを提供しているほか、PCRやDNA型の判定などの初歩的なバイオ実験技術の講習会を開催しています。
FabLabは、デジタル工作に強い一般市民に開かれた工房で、菌糸体やキノコなどを応用したものづくりや、顕微鏡などのバイオに必要な装置を自作して実験を行うプロジェクトも増えてきています。
世界中に拠点を持っていて、日本国内にも北は岩手から南は宮崎まで18の拠点があります (2019.10.18現在)。
YCAM バイオ・リサーチ (山口市) では、図書館の隣に実験室が用意されていて、さまざまな市民研究がなされています。
[dgad]DIYバイオによる企業がDIYバイオをさらに後押しする
DIYバイオが大きくなりできた企業もあります。例えば、OpenTronsやBento Labなどは安価な実験器具を、Amino LabsやThe ODINなどはDNA抽出からゲノム編集までさまざまな用途に使える分子生物学キットをDIY生物学者に提供しています。
DIYバイオ出身の企業がDIYバイオに還元し、さらに新たなDIYバイオの成功例が誕生する。
研究機関の研究者でなくても生命科学研究ができる時代が、もう始まっています。
まとめ
最後に今回の内容をまとめます。
- 自分でつくるというDIYバイオ運動がある
- インスリンをつくるよりよい方法を探すOpen Insulin Project
- 研究機関でなくても生命科学研究をできる時代になっている
今日も【生命科学のポータルサイト】生命医学をハックするをお読みいただきありがとうございました。