2008年のノーベル医学生理学賞は、病気を引き起こす2つのウイルス、HPV (HumanPapillomaVirus) とHIV (Human Immunodeficiency Virus) を見つけた科学者に授与されました。
このうちのHIVを見つけたのが、フランスのリュック・モンタニエとフランソワーズ・バレーシヌシのペアです。
この記事ではエイズやHIVの発見についてまとめます。
正体不明の奇病
1981年、カリフォルニア大のマイケル・ゴットリーブ医師は奇妙な症状をもつ33才の男性患者を紹介されました。この患者はニューモシスチス肺炎という非常に珍しい肺炎を患っていたのです。
ニューモシスチス肺炎は免疫力が非常に低い状態でないと発症しないもので、免疫力がまだ不十分の乳幼児や、あるいは免疫を抑える薬を使っている方では報告があったものの、このような健康成人では報告がありませんでした。
ゴットリーブがいろいろ調べると、患者の免疫力は非常に低下していて、なかでもリンパ球の1つであるT細胞の数が大きく減っていることが明らかとなりました。
この患者は同性愛者でしたが、ゴットリーブ医師は立て続けに同じような同性愛者の男性で免疫力が大きく低下している患者を4人も診察することになり、あたらしい病気なのではないかいう論文を執筆 (N. Engl. J. Med. 1981)、さらに速報誌へ短報をかき1981年6月に発表しました。
その翌月、奇妙な別の論文が発表されました。それまでは免疫力の低い方でしか見つかっていなかったカポジ肉腫という特殊ながんが、わずか3ヶ月でニューヨークだけで26人の同性愛・両性愛者の男性に報告されました。
アメリカ疾病対策センターCDCはただちに調査を開始し、メディアは大きく取り上げました。調査の結果わかったのは、必ずしも同性愛者だけでなく、血液製剤を使っていた患者、麻薬常習者などからもこの奇病が見つかりました。
この奇病は未知の病原体による感染症で、性交渉や血液によって感染し、血液製剤をつくるときに使っていたごく小さいフィルターをも通過することから、おそらくウイルスではないかと推測されました。
こういう調査を経て、1982年末にはエイズ (AIDS) と正式に名付けられました。
エイズウイルス発見
1982年、50歳になったフランスのウイルス学者リュック・モンタニエは、別の研究者との討論でエイズの病原体がレトロウイルスではないかという節を伝えられ、モンタニエもこの考え方には十分な根拠があると判断するようになっていました。
レトロウイルスというのは、RNAを遺伝子とするRNAウイルスの1つで、このウイルスは自分の遺伝情報 (RNA) をいったんDNAにして、それを宿主の細胞のDNAに挿入するという仕組みを持っています。
モンタニエは1983年1月、検査を依頼された患者のリンパ節と血液を受け取り、そこからレトロウイルスを探しはじめました。
モンタニエは、エイズではT細胞が壊れることからそこがウイルスの主な標的であり、そのT細胞がたくさんあるのはリンパ節なので、そこにも病原体が存在するに違いないと考えていたのです。
リンパ節から遠心分離でリンパ球を取り出して培養をはじめ、3日ごとに培養液を採取して同僚のフランソワーズ・バレーシヌシ (後に2008年ノーベル賞を共同受賞することになります) に渡しました。
バレーシヌシは、培養液中に (RNAからDNAを作り出すために必要な) 逆転写酵素が存在するかどうかを調べる実験を担当しました。
培養から10日たち、はじめて逆転写酵素が見つかりました。26日後には酵素の濃度がピークに達しました。ここでウイルスは死に始めたものの、興味深いごとに健康な人間の血液をウイルスの培養液に加えるとふたたび増殖し始めたのです。
これは新しく健康な細胞にウイルスが感染したことを示すもので、このウイルスがエイズの病原体に違いないと考えるようになりました。
しかし、これは新発見のものではなく、すでに発見されていたレトロウイルスかもしれません。
九州・沖縄の風土病にヒトT細胞白血病というものがあり、その原因ウイルスHTLV-1は代表的なレトロウイルスで、1980年にロバート・ギャロらによって発見されていました。
種々の実験から、エイズを引き起こすウイルスはHTLV-1ではないということが分かり、またレトロウイルスの中でも「レンチウイルス」に分類される新種のウイルスだと判明しました。
その結果、リュック・モンタニエはこの新種のウイルスにLAV (リンパ節腫関連ウイルス)という名前をつけて発表し、後にHIVと呼ばれるようになるのです。
HIV発見のその後
HIVはすでに全世界に蔓延しました。WHOは3000万以上が感染していると発表しています。日本国内でも2万人を超える患者がいます。
HIVが発見されてから30年の間に20種類以上のHIV薬が開発されています。複数の薬を組み合わせるカクテル療法を感染初期から受けることができれば、感染者はエイズを発症しにくくなり、こうした治療を受けることができる人々は、感染者の余命を非感染者のそれに近づけることに成功しました。
しかし、これらの治療薬を使えない場合、感染者のエイズ発症率・死亡率はいまも極めて高い状態が続いています。
それにカクテル療法でもエイズは完治しません。そのため当初は感染を予防するワクチン開発が期待されていました。
モンタニエやバレーシヌシら各国の研究者がワクチン開発に取り組んだものの、残念ながらいまだエイズワクチンは開発されていません。
その理由は、HIVが極めて短期間で変異するからです。HIVの逆転写酵素は複製時のエラー率も高く、感染者の体内でHIVは次々と変化しています。その結果、個々の感染者のもつHIVは多様になってしまうのです。
モンタニエ自身はインタビューで予防ワクチンはもはや期待できないと述べています。代わりに、治療用ワクチンの作成を提唱しています。これはワクチンで患者の免疫力を高めてウイルスに対抗しようというもので、十分な研究費が投入されれば数年で実現する可能性があると予想しています。
毎日服用するカクテルと違い、治療用ワクチンは数ヶ月ごとに接種するものであり、実現すれば現在よりもはるかに多くの患者に治療のチャンスが訪れます。
まとめに代えて
この記事では2008年のノーベル賞を紹介しました。
そもそもエイズウイルスはどこから来て、なぜ感染は拡大したのでしょうか? その最も核心に迫る本が「エイズの起源」です。
この記事の最後に紹介したカクテル療法は複数の薬を組み合わせるものですが、その最初の薬を世界で初めて開発したのは日本人の満屋裕明先生でした。「エイズ治療薬を発見した男 満屋裕明」に半生がまとまっています。
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