今でこそ微生物による感染症という概念や、微生物を減らすための消毒はごくごく当たり前のものになっていますが、実はこれは19世紀になってようやく発見されたものです。
この記事では、19世紀後半のおよそ50年をかけて開発された消毒法の物語を、3人の代表的な人物を通して紹介します。
産褥熱が細菌から起こることの発見
出産後、産道や子宮に細菌が感染して起こる産褥熱 (さんじょくねつ) の研究から消毒法が発見されました。
アメリカ人の医師オリバー・ウェンデル・ホームズが「産褥熱は感染症で、医師がその感染を広げている」という論文を1843年に発表し、診察の後には手を清潔に洗わないといけないことを主張しましたが、この説は当時の医学界には全く受け入れられませんでした。
当時の産褥熱の原因は瘴気 (大気中にあると考えられていた毒素) や精神的ショックなどいろいろな説があったものの、感染症だとは誰も思っていなかったからです。
産褥熱が感染症だということを証明したのはハンガリー人の産科医ゼンメルワイスです。1846年、ゼンメルワイスが勤務しはじめた病院には医師や医学生が分娩を行う病棟と、助産師が分娩を扱う病棟の2つがあり、妊婦さんが来院した曜日で割り振られていました。
2つの病棟は隣り合わせで病棟もほぼ同じ建物であるのにも関わらず、ゼンメルワイスが死亡統計を調べてみると驚くべきことが分かりました。なんと医師や医学生が扱う病棟では助産師が分娩を取り扱う病棟よりも60倍も妊婦死亡率が高かったのです。
しかも不思議なことに自宅出産の死亡率は低く、病院の外では産褥熱が流行しないことが分かりました。
これらのことから、医師や学生は産褥熱の患者さんの診察の後、そのまま別の妊婦さんに触れることで産褥熱を伝搬させてしまっていたことが分かったのです。
手を洗うと産褥熱が激減することの発見
感染源は臭いでしか確認できないと物質だと考えたゼンメルワイスは、脱臭作用のある塩素水が入った洗面器で徹底的に手を洗うことを産婦人科病棟の職員たちに徹底しました。
その効果は絶大で、医師や医学生が分娩を行う病棟における産褥熱の発症率は助産師が分娩を扱う病棟と同じ程度まで低下したのです。
ただ、ゼンメルワイスは論文を書くのが非常に苦手だったことに加え、ウィルヒョウなどの大御所研究者がその説を受け付けなかったこと、さらに医者にとっては「多くの患者を殺してきたのが自分自身」だということを認めることにもなるということが相まって、ゼンメルワイスの発見がすぐに世の中に広まることはありませんでした。
消毒薬の発見
1851年にロンドンで第1回の万博が開催され、科学の進歩が切り開く華やかな将来が描かれましたが、それでも医学の知識はまだまだで、当時は傷が化膿していく原因は空気中の酸素であると考えられていました。
傷を完全に覆ってしまう方法や、極端なものではさらに真空ポンプで空気を抜く方法も試されましたが、いずれも効果はありませんでした。
そんな折、イギリスの外科医リスターは、フランス人のパスツールが発表した「ワインが腐るのは微生物の仕業である」という論文を見つけます。
傷の化膿は腐敗現象と同じであり、微生物を抑えることができれば化膿を防止できるのではないかとリスターは仮説を立てました。
近くの町でゴミや汚水の処理に石炭酸 (フェノール)を使っていることを聞いたリスターは、ゴミや汚水の悪臭は腐敗作用を持つ微生物によるものであり石炭酸には微生物を殺す作用があると考え、石炭酸を染み込ませた布で傷口をおおうという治療を始めたのです。
結果は大成功で、1867年にLancet誌に論文を報告しました。すぐには広まらなかったものの、その後も次々に成功例を報告していきました。
1874年からは、アイデアのもとにした研究をしたフランス人の細菌学者パスツールと親交を結び、リスターの消毒法は細菌学者によって理論的な裏付けがなされていきます。
リスター法のその後
リスターは、大気中に微生物が充満していると考えていました。だから最初は石炭酸をつけた布で頑丈に覆ったのです。
しかしその後の研究から、空気中の微生物はわずかであり、感染の原因のほとんどは皮膚や手術器具などについている菌が原因で、それらを消毒すればいいことが分かってきました。
石炭酸は皮膚や気道を刺激してしまうというよくない作用もあるので、手術における「清潔操作」という概念が確立され、1890年にハルステッドが使い始めた手術用ゴム袋によってほぼ現在の手術スタイルになったのです。
まとめに代えて
レーウェンフックの顯微鏡と微生物の発見 【生い立ちのエピソードも】にもまとめた通り微生物が最初に見つかったのは18世紀頃ですが、細菌が精力的に研究されるようになったのは19世紀末のことであり、この頃はまだ微生物が病気を引き起こすなんて全く考えられていませんでした。
200年進んだ今でこそ当たり前の概念ですが、それが根付くのには数多の研究が必要だったのです。きっと今からさらに200年後の人たちにとっても、現代の医学にはまだまだ「常識はずれ」な部分がたくさんあるのでしょう。
古い概念に囚われすぎずに仮説と検証を繰り返していきたいと思います。
関連図書
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レーウェンフックの顯微鏡と微生物の発見 【生い立ちのエピソードも】
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