HEK293細胞やその派生細胞株は、培養細胞株の中で最もよく使われているものの1つです。
この記事では、ATCCに登録されている代表的な派生株の紹介や、近年の研究から分かってきたことについてまとめます。
HEK293細胞とその代表的な派生株
ヒト胚性腎臓(HEK)細胞株は、幅広い汎用性を持つ細胞株です。最初に報告されたのは1973年のことで、細胞の不死化を目的としてアデノウイルスE1AとE1B遺伝子がHEK293細胞のゲノムに組み込まれています。
HEK293細胞の大きな特徴の1つは、トランスフェクションが非常に高いということです。市販されているリポフェクション試薬を使えばほぼ100%近くトランスフェクションできますし、リン酸カルシウムなど古典的なアプローチでも相かなり遺伝子導入が容易です。
便利な細胞なので研究者にたくさん使われ、その結果としてHEK293細胞株由来の派生株がいろいろ登場しました。ATCCに登録されているHEK293由来の細胞株だけでも、120種類以上存在します。
その中でいくつか代表的なものを紹介しますと、ウイルスであるSV40のラージT抗原を入れた293T細胞や、別のウイルスEBNAを組み込んだ293E細胞があります。
特に293T細胞は、SV40の複製起点 (ori) を持つベクターのコピー数を細胞内で増やしタンパクをたくさんつくるということもありよく使われています。
親株のHEK293細胞も含め、293E, 293T細胞はいずれも付着培養細胞株です。
それに対して、HEK293細胞由来でも浮遊培養するものもあります。293H細胞や、増殖が早い293F細胞が代表例です。また、メーカーが作成したfreestyleという培地に順応した293F細胞であるfreestyle 293F細胞も購入可能です。
これらの細胞株はいずれも浮遊培養であり、特にfreestyle 293F細胞は容易にスケールアップ可能であることから分泌タンパクの精製などに使われることが多い細胞です。
ここで紹介した6種類の細胞 (親株のHEK293、293E、293T、293H、293F、freestyle 293F)のゲノムやトランスクリプトームを比較したという論文も発表されています (Evolution from adherent to suspension – systems biology of HEK293 cell line development. Sci Rep 2021)。
HEK293細胞の欠点と取り組み
HEK293細胞は,トランスフェクションが比較的容易であることから,細胞内でタンパク質を生産してその生物学的機能を研究したり,製薬業界での分子スクリーニングを含めた解析のために分泌タンパク質を集める研究に広く用いられてきました (Use of a protein engineering strategy to overcome limitations in the production of “Difficult to Express” recombinant proteins. Biotechnol. Bioeng. 2017)。
一方でいくつかの課題もあり、現状ではHEK293細胞を「治療用タンパク質」の製造に使うという動きはほとんどありません。代表的な課題をあげると、
(1) タンパク収率がもっと高い酵母のシステムがある
(2) HEK293細胞に感染している未知のヒト病原体が治療タンパクに混入し意図せずに感染が広がってしまう可能性がある
(3) そして特定のHEK細胞株(HEK293T)にはSV40ラージT抗原 (腫瘍抑制因子のp53およびRbファミリーを阻害する) が発現しており、精製が不十分だとこれが「治療薬」に入ってしまう
さらに、ヒトの治療用タンパク質を製造するための哺乳類システムとしてCHO細胞が広く受け入れられているという事情もあります。
しかし、浮遊培養可能なHEK293細胞(freestyle 293Fなど)、ヒトのグリコシル化パターンや機能的に必須な翻訳後修飾をつくる亜種の出現により、HEK293細胞はある特定の分泌型医薬品の製造に理想的な工場として注目されつつあります (Impact of host cell line choice on glycan profile. Crit Rev Biotechnol 2018)。
HEK293細胞から目的とする製品の収量・品質を向上させるためには、基本的な細胞パラメータとプロセスに関する知識を深める必要があります。ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボローム、リピドミクスの強力なデータセットが、培養プロセス、細胞密度、生産などについて増えつつあります (High-throughput lipidomic and transcriptomic analysis to compare SP2/0, CHO, and HEK-293 mammalian cell lines. Anal. Chem., 2017)。
HEK293細胞にはどのプロモーターを使うのがいいのかといった検討 (The CAG promoter maintains high-level transgene expression in HEK293 cells. FEBS Open Bio 2021)や、ゲノムのどこだったら安全に目的の遺伝子を埋め込めるか、いわゆるゲノムセーフハーバーはどこかを特定する研究も進んでいます (Comprehensive analysis of genomic safe harbors as target sites for stable expression of the heterologous gene in HEK293 cells. ACS. Synth. Biol. 2020)。
もう50年以上にもわたって使われている細胞株ですが、オミクス技術の普及により網羅的に調べることができるようになりました。細胞のことをより深く理解することで、さらに便利な使い方が開発されていくのでしょう。
まとめに代えて
この記事では、HEK293細胞について紹介しました。
よく使われる基本的な細胞株ではあるものの、100を超える亜種が利用可能であることはもしかしたら知らなかったかもしれません。よく行う細胞培養だからこそ、基本は大事にしたいところです。
この記事は「細胞で薬としてのタンパクをつくる」ということに触れましたが、近年は「細胞そのものを薬として使う」というアプローチでの研究も盛んになってきました。当ブログでも折をみて紹介しようと思います。
細胞への遺伝子導入については、このような関連記事があるので合わせてご覧ください。
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