無細胞発現系で細胞を理解する 【欧米の学校教育でも使われている】
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【生命医学をハックする】運営者 (@biomedicalhacks)。生命科学研究者、医師・医学博士。プロフィールはこちら

無細胞遺伝子発現系は、細胞の抽出液を使って転写や翻訳を行う系のことを指します。

古くは1960年代から存在する技術ですが当時は試薬が高いなどの問題がありました。現在ではさまざまな工夫が行われ、より幅広い生命科学研究で使われるようになってきています。

また、欧米の学校教育でも使えるような便利なキットも登場しました。

この記事では無細胞系を使った生命科学研究について紹介します。

見直されつつある無細胞遺伝子発現系

無細胞遺伝子発現系は古くからある技術です。

DNA複製に関わる酵素 (ポリメラーゼ) の同定には、大腸菌の細胞抽出液中のポリメラーゼ活性を直接調べることによって明らかにされました (Enzymatic replication of the origin of the Escherichia coli chromosome. PNAS 1981)し、真核生物の翻訳開始における5′キャッピングの役割は、in vitro翻訳アッセイを用いて発見されています(Dual function of the messenger RNA cap structure in poly(A)-tail-promoted translation in yeast. Nature 1998)。

このように無細胞発現系は古くから使われてきたものの、タンパクの収量が低いとか、試薬が高いとか、反応が短い時間しか続かないとかいう理由ですぐには普及しませんでした。

その後のたくさんの改良の結果、2020年時点ではタンパク質の収量が培養液1リットル当たり1 gを超え、反応も10時間以上持続し、コストはずっと安くなっています (An economical method for cell-free protein synthesis using glucose and nucleoside monophosphates. Biotechnol. Prog. 2005)。

細胞内の還元的な条件下でしばしば見られるタンパクのジスルフィド結合も、in vitroの無細胞翻訳系でも再現できるようになりました (High yield cell-free production of integral membrane proteins without refolding or detergents. Biochim. Biophys. Acta 2008)。

抽出液の調製プロトコルについても、元々の方法 (In vitro synthesis of protein in microbial systems. Annu. Rev. Genet. 1973) から大幅に簡略化され、普通の分子生物学実験環境があれば半日程度で大量に調製できるようになりました (Rapid and scalable preparation of bacterial lysates for cell-free gene expression. ACS Synth. Biol. 2017)。

これらのいくつもの理由から、無細胞遺伝子発現系が見直され始めています。

遺伝子回路の検証

細菌のRNAポリメラーゼが無細胞での翻訳を引き起こすのに十分なmRNAを作り出すことができるということが分かり (Efficient cell-free expression with the endogenous E. Coli RNA polymerase and sigma factor 70. J. Biol. Eng. 2010)、それを応用して複雑な遺伝パーツである光感知プロモーター (Cell-free optogenetic gene expression system. ACS Synth. Biol. 2018)やアロステリック転写因子 (Cell-free gene-regulatory network engineering with synthetic transcription factors. PNAS 2019)などの迅速な開発につながっていきました。

PCRで作られた線状 (リニア)のDNAテンプレートから無細胞系で転写ができます。この場合、細菌抽出物中に混入している RecBCD ヌクレアーゼによるテンプレート消化を防ぐ必要がありますが、これは、DNAに結合して保護するヌクレアーゼ阻害剤であるラムダファージタンパク質GamSを反応に加えるか、またはRecBCDのネイティブ基質であるχというオリゴヌクレオチドリピートを添加して競合阻害を起こすことで回避できます (Linear DNA for rapid prototyping of synthetic biological circuits in an Escherichia coli based TX-TL cell-free system. ACS Synth. Biol. 2014 : Short DNA containing χ sites enhances DNA stability and gene expression in E. coli cell-free transcription-translation systems. Biotechnol. Bioeng. 2017) 。

つまり、ある配列を用意したら、そこからPCRによる突然変異誘発でライブラリを迅速に設計し、プラスミド構築などをせずに無細胞発現系に直接添加できます。

微量スクリーニング系の登場

無細胞発現系を使った遺伝パーツのスクリーニングは、近年のロボット工学の発展もあり、ナノリットルやマイクロリットルといった小さな反応系でハイスループット (1回の実験で数百~数千種類を検証)に検討することができます。

1つの候補変異体のみにするために、例えば液滴ベースの発現系の中にカプセル化する工夫もされています (A new embedded process for compartmentalized cell-free protein expression and online detection in microfluidic devices. ChemBioChem 2005)。ごく微量の液滴の中にポアソン分布などを使って1つの分子のみが入るように希釈し、それを使って酵素変異体の選択や誘導性プロモーターの検証などが報告されています (A completely in vitro ultrahigh-throughput droplet-based microfluidic screening system for protein engineering and directed evolution. Lab Chip 2012 : Accurate high-throughput screening based on digital protein synthesis in a massively parallel femtoliter droplet array. Sci. Adv. 2019).

転写因子ネットワークの再構成

無細胞発現系は、合成遺伝子制御ネットワークの中で、遺伝パーツがどのように機能しているかを分析するためにも使われてきました。

別々のプラスミドあるいは線状DNAで複数の転写ユニットを用意しておき、無細胞発現系でそれらが集まるとどのような性質があるのかをシミュレーションできるようになりました。無細胞系でいろいろ試して最適なパラメーターを決め、それを細胞に実装できるようになったのです。実際この戦略で、多くの遺伝子回路が開発されています (Principles of cell-free genetic circuit assembly. PNAS 2003 : The all E. coli TX-TL Toolbox 2.0: a platform for cell-free synthetic biology. ACS Synth. Biol. 2016 : Rapidly characterizing the fast dynamics of RNA genetic circuitry with cell-free transcription–translation (TX-TL) systems. ACS Synth. Biol. 2015)。

重要な未解決問題の1つは、無細胞発現系で得たシミュレーション結果が必ずしも細胞内での研究結果と一致しないということであり、細胞内は非常に「混み合った」環境であることが原因として挙げられています。

例えば大腸菌の細胞内総タンパク質濃度~200 g/Lと言われていますが、一般的に使われてきた抽出液では 10 g/L程度しかありません (Coarse-grained dynamics of protein synthesis in a cell-free system. Phys. Rev. Lett. 2011))。

ポリエチレングリコールやFicollのような試薬でクラウディングを補ったとしても、細胞抽出物は、細胞内よりも数十倍から数百倍もタンパクが希釈されているのです。

この点の克服が、次なる課題の1つになってくるでしょう。

タンパク・タンパクネットワーク

これまでは無細胞発現系のうち転写について紹介しましたが、もちろん発現系もあります。

無細胞発現系に重アミノ酸を添加することで、構造解析や定量プロテオミクスのための同位体標識タンパク質を合成することができます (Mass spectrometry-based absolute quantification reveals rhythmic variation of mouse circadian clock proteins. PNAS 2016)。

また無細胞発現系を使えば、翻訳後修飾であっても非天然アミノ酸を使えば遺伝的に組み込むことができ、例えばMEK1キナーゼ活性におけるセリンリン酸化の効果はこの方法で報告されています (Robust production of recombinant phosphoproteins using cell-free protein synthesis. Nat. Commun. 2015).

無細胞翻訳系を使えば、タンパク質-タンパク質相互作用をタンパク質ライブラリを用いてハイスループットで発見することができます。このアプローチは特に培養が難しい生物の解析に有効です。

ある代謝系に関わるタンパクを別々に無細胞系で作成し、それらを混ぜ合わせることで、1本のチューブの中に基質を加えればその最終産物ができるということもブタノール合成系で示されており、工業的な応用が模索されています (A cell-free framework for rapid biosynthetic pathway prototyping and enzyme discovery. Metab. Eng. 2016)。

無細胞系で細胞を作る

やや逆説的ですが、無細胞発現系を使って複数の遺伝パーツや代謝経路を統合し、合成細胞の設計や研究に使うという動きもあります。

この分野の初期の成功例の一つは、2012年に行われたウイルスゲノム全体のin vitro転写と翻訳により自己複製可能なファージT7とФX174を「合成」したという報告です (Genome replication, synthesis, and assembly of the bacteriophage T7 in a single cell-free reaction. ACS Synth. Biol. 2012)。

それ以降も盛んに研究が行われ、Build-a-Cell workshopsでは無細胞発現系を使った自己複製可能な「生命」についての最先端の議論がなされています。

無細胞発現系を使った学生教育

無細胞発現系は非常に簡単なので、最近では合成生物学の教育にも活用されはじめてきました。

凍結乾燥した無細胞発現系に、水と簡単な試薬を加えば生物学的実験ができるような体験型キットがいろいろ開発されています。例えばBioBitsなどが有名です。

例えば、蛍光レポーターGFPができる無細胞発現系キットは簡単に目で見えるために、学校教育でも急速に広まっています (Broadening horizons and teaching basic biology through cell-free synthesis of green fluorescent protein in a high school laboratory course. J. Sci. Educ. Technol. 2013).

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